認知の広がり

バリアフリールートについて
こあらP
こあらP

皆さんバリアフリールートって聞き馴染みありますか?

ベビーカーを使っていると、当然エスカレーターや階段は使えません。

だから商業施設の中や地下鉄に乗るときはエレベーターを探します。これが案外大変で、ちゃんと考えないと想定より倍以上の移動時間が掛かったりする。

それをバリアフリールートということもあります。

だからこそ『優先』されるのだと、ベビーカーを押して初めて認識しました。でもそれ以上にハッとしたのは、車椅子の存在。エレベーターはベビーカーが乗るものだ!なんて認識は元々ないけれど、車椅子もまたエレベーターがなければ移動が困難。

それを認知した瞬間、改札の幅も車椅子が通れるようになっているんだとか。多機能トイレの存在だとか。そもそも歩道に止めてある自転車が邪魔で通れないんじゃないかとか。

もとより意識の高い人はできていたかもしれない気遣いを、自分が近い境遇になって知る。思い遣ることが出来る。それは自分にとって凄く良い気づきだったと思うのです。

育児の話から逸れてしまいましたが、でもこういう”認知”を実感することが大切だと思っています。

男児なんて特に人の話を聞いたその瞬間に忘れるような生き物ですから、どれだけこうしろあぁしろ言った所で聞かない、忘れるってことが起きるでしょう。自分の子供の頃を思い出せば、それが当たり前でした。

でも、本当はやはり自分事として、本人が気づくように導いてあげる方が良いだろうなと。

最近一緒に散歩をしていると、あちこち指差して色を教えてくれます。うんうん、そうだね。あれは青だ。本当だ、赤もある。一緒に目線を合わせて話を合わせて…

ふと「あれ?この標識って赤だったっけ?」「アスファルトにこんな模様が書いてあったっけ?」と記憶を辿っていました。長男と目を合わせると、もう一度指を差して、これは赤だよ、と。その道は何度も通っていて、彼がお気に入りのルート。だから自分はここに何色があって、どんな形があるか覚えているんだぞって得意気な表情で。

そうなんです。長男の方がずっとこの辺りの景色を新鮮なまま興味を持って眺めていて、対する自分は何年も暮らしているのに標識の色さえままならない。子供から真っ直ぐに認知を学んだ瞬間です。

以来私は彼に教えるように『あれは何色だよ』とするのではなく、彼と同じ目線で「あの標識、めっちゃ綺麗な黄色だね」とか、共有するようにしています。

彼もきっと同じ思いで、自分が気になったことを教えてくれます。

こあらP
こあらP

他人から教えられることより自分で気づいたことの方が忘れない。当たり前のことですが、大人になると常識が邪魔をして気づけないことも多くあります。そんなことも今後意識しながら。まだまだ自分が気づけていない所に目を向け、子供と一緒に成長し続けていきたいものです。

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